HOME > 兎穴の分かれ道 > 保管庫 > 早く隠居したい~マヨネーズを目指して~ > 番外 彦

両親を亡くして、野山を彷徨っていた自分が出会ったのは不思議な子供だった。

初めて会ったのは白兎様が庭に出ていた時。

その時の俺は山中を放浪する生活に疲れ果てて、ふらふらと偶然見つけた屋敷に引き寄せられていただけだった。
わずかに空いた壁の穴から邸内に入り込んだのだ。

俺がたてた物音を白兎様は猫と勘違いして、朝に晩にと穴近くの低木の前に食事を置いてくれるようになった。
猫と勘違いされていることはわかっていたけれども、山中に戻るにはもはや力が出ず、町へ向かうにも体力がなかった。
素直に姿を現して、助けを求めれば良かったのだけど、その時の俺はなぜか白兎様の前に出ることができなかった。

今から思えば、また追い払われるのが恐ろしかったのだろうと思う。
おじおば達の仕打ちは、存外に俺に影響を残していた。



結局、白兎様ときちんと対面できたのはそれから何日も経った後。
朝晩食事を頂けていたとはいえ、猫の為に用意された物である。
未だ子供とはいえ、人間である己には少なすぎたのだ。
とうとう動けなくなり、無理やり低木の陰に潜り込んだ所で気を失ってしまった。

見つけて下さったのは、またもや白兎様だったらしい。
気が付くと、ふわふわした寝床の中で薬草の匂いに包まれていた。
腹を鳴らした自分に、白兎様は笑って、今度は腹一杯の食べ物を食べさせてくれた。

そして翌日の夜、再び部屋にやって来た白兎様にここで暮らす様に言われたのだ。
しかも不可思議なことに、下男ではなく、白兎様の預かりという過ぎるほどの扱いだった。


結局、自分から進んで仕事を手伝うことにはしたものの、屋敷の中は奇妙なもので一杯だった。

白兎様のお部屋にある「椅子」だとか「机」だとかは不思議な座り方をする為の物。
座らせて頂いたそれは、足も辛くなく、床から遠い為に体も冷えない。
隙間風に震えながら、数少ない着物を巻きつけて寝るはずの寝床には、ふかふかの「布団」という物。
書き付けても水で滲むことのない、「クレヨン」という物。
足の冷えぬように「スリッパ」を使い、外に出る為には「サンダル」ですばやく出れる。
しかもそれらの全ては、白兎様が自分で考え出して作った物らしい。



白兎様本人も、変わった子供であった。

我侭一つ言わず、時たま口にする願いは例の不思議な物を作る手伝い。
同じ物を増やすことはない、と言われて写経の代わりに「童話」という不思議な話を書いてくれる。
違う歌を歌って音を合わせる、不思議な歌を教えてくれたこともあった。

何よりその年の子供にしては不思議なほどに、薬草に興味を持たれる。
聞けば、幼い頃に兄上様を危うく毒で失うところだったと言う。
そのせいか、字の練習をしたり、歌や何かを作っている時以外は大抵山中に薬草を採りに行ったり、乾燥させた薬草の整理をしていた。



母屋に暮らすご両親や兄上様と離れて、一人離れで暮らして寂しくないのだろうか。
思わず問えば、不思議な顔をして自分達がいるから寂しくはないと答えた。


極め付けがあの「ポンプ」だ。
白兎様が実際に作られた場面を見たことのなかった俺は、本当にあんなもので水が汲めるのか半信半疑どころか、沈んだ白兎様をどうやって慰めるかなどと考えていたのだ。

実際に、流れるように水が溢れてきた時は驚いた。

そして悟った。
この方に、俺の常識は通じない。
なんでもありだ。








本当に、白兎様は不思議な方だ。

どこの誰とも知れぬ自分をすんなりと受け入れ、あまつさえ教育を施す。
文字を覚え薬草の知識を教わり、どこで仕入れた知識なのか、星の成り立ちや世の成り立ち。
突拍子のない話かと思えば、聞けば納得、疑いの余地もなくそれは正しいのだ。
庭に落ちていた小石を使って、月がなぜ欠け、再び元のように戻るのかを教えてくれたこともあった。

怪我をして膿むのはなぜか。
雨はどこから来るのか。
病気にならないためには。
なぜ地面が揺れるのか。
雲はどこへ行くのか。

様々なことを教わった。
そして白兎様は時々、不思議な所で物を知らない。
そういう時は、自分が逆に教えて差し上げる番だ。
その不思議な所で発揮される物知らずは、俺が白兎様の為にしてあげられることの一つで、案外楽しみにしている自分がいるのを知っている。




家人ではないのだから、食事を共に取りたいという、白兎様にしては珍しい我侭で俺は白兎様と食事を共にする。
今よりもっと幼い頃は白兎様の希望を聞き入れて、土岐も一緒に食事をしていた。
けれどいつしかそれも無くなってしまった。
食事を共にできるのは、けして白兎様との身分を越えて来られない土岐や喜一、乳母にはできない、俺だけの特権だ。

初めは病人だからかと思っていた薄味は、白兎様から栄養や食事療法の知識を学んだ今となっては、これが健康を保つ為の薬膳でもあることを理解している。
もともと味を度外視しているわけでもなく、食事は美味しく食べるものであると拘る白兎様の考えた献立は文句なしに美味しい。

一度慣れてしまえば、仕事でこちらの料理を頂けない時などは苦痛に感じるほどこの塩の少ない食事に慣れきっている。

だがその仕事さえ、土岐や喜一にはできない、「俺だけ」が白兎様にして差し上げられることだ。
今となっては、あの時家人としてではなく、保護という形で引き取って貰った奇跡に感謝している。



依存していることなど自覚している。

だがそれがどうしたというのだ。
親族を、血を分けた者達を失い、一度死に掛けた。
そんな俺を保護し、当然のように知識を与えてくれた。
新しい世界を貰ったのだ、依存しない方が逆におかしい。
たとえ出会った時、まだ相手が幼子だったことなどたいして意味は持たない。

おそらくこの世で一番白兎様のことを理解できるのはこの俺だ。
そしておそらく、この世で一番俺のことを理解しているのも白兎様だろう。

白兎様にありとあらゆることを与えられ、教わったのだ。

土岐は、白兎様と俺の勉強中、守役としての役目を果たす為に武芸の稽古をしていた。
喜一は屋敷内の雑事を片付けるかたわら、白兎様に頼まれた物を作ったり、職人に繋ぎをとったりしていた。
乳母は白兎様のお世話をすることしか興味がない。

彼らは、白兎様の知識がどれだけ深いものかを知らない。
故に、白兎様の存在が表に出た時、白兎様に降りかかる災いも正確に把握できてはいない。
それでもいい。
俺が知っている。
白兎様が顔を曇らすことがないように俺が対処しよう。

白兎様にその知識を譲られたのは俺だけだ。
俺だけが白兎様の一番の理解者足りえるのだ。
これ以上の喜びはない。

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