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ここで待っていろ、すぐ迎えに来る。

そう言い置いて、親は去っていった。


すまない、すまない。

父に肩を抱かれながらも、そう言いながら何度も振り返っていた母の声を覚えている。







生まれたのは、谷間の貧しい土地に、猫の額ほどの畑を耕しながら暮らす村。

大分年の離れた兄弟達は、毎日の様に両親と一緒に畑に出て、日が暮れるまで戻って来なかった。

幼い自分に構っていられる余裕など、誰にもなかったのだ。

すでに跡継ぎが育っていた家の中で、自分が決して望まれて生まれた存在でなかったことは、早いうちに理解した。



量が増すように、わざわざ砕いた雑穀と、申し訳程度に入れられる野菜。
粥と言うのがおこがましいほど水っぽいそれが、日々の糧。


生きている兄弟達の後に生まれていたらしい、今はいない兄弟達。

自分がその一人にならずに済んだのは、たまたま。
本当に、たまたま。
豊作と言うほどでも、凶作と言うほどでもなく、たまたま、ギリギリで生き残れる位の収穫があったから。




それでも、家族全員、すきっ腹を抱えて生きていくのがやっとだった。
腹を空かせずに生活することはできなかった。











町に行こう。
そう、自分だけが両親に呼ばれた時、ああ、自分は捨てられるのだなと思った。

捨てられるのは怖い。
一人になるのは怖い。
置いて行かれるのは怖い。

けど、もしその手を取ったら。
もしその手を取って、振り払われるのはもっと怖い。
お前なんかいらないと言われるのが怖い。

そうして、臆病な自分は一人町外れに残されたのだ。

今から思えば、あれは両親のなけなしの思いやりだったのだろう。
あのまま村にいれば、ほんの少しでも収穫が少なくなっただけで自分は死んでいた。
山に捨てずに、町に捨てたのは、そこならどうにか生き延びられるかも知れなかったから。


それでも、町にも自分の居場所はなかった。

同じ様な境遇の子供達と一日中地面すれすれを目を皿のようにして這い回り、金になりそうなものを集め、どうにか集めた物は、二束三文で買い叩かれる。
そんなはした金では、その日の糧だけでも精一杯で。

それでも、その小銭こそが唯一の命綱である。

寒い日には、必死に足と足を擦り合わせて。
時折朝になると冷たくなっている者もいる。
誰も弔ってはくれない。
せめて自分達で穴を掘り、昨日まで身体を寄せ合った存在を葬る。
せめて花だけでも供えられれば良いが、果たして、明日自分たちは生きているだろうか。















緩やかな死に向かって歩んでいたような頃を思い出す。

あの後、たまたま通りがかった白兎様によって、わけもわからぬうちに連れ帰られ、風呂に放り込まれた。

栄養のある食事と暖かな寝床を与えられ、生きて行く為の術と、庇護を与えられた。
日々の糧を心配する生活は払拭され、変わりに、溢れるほどの知識を渡された。
知識を学び、気が付けばこんな所まで来ている。

父は、自分が与えた物がどれだけ外れた物なのか自覚しているのだろうか。



送られてきた荷に、長々と書き綴られた手紙に相好を崩す。

苦笑した。
敬愛する父は、ずいぶんと自分たちに甘い。




年が近いどころか、自分より年下。
それでも確かに自分達の父であるあの人は、恐ろしく能天気だ。
知りたいと言われれば答え、欲しいと言われれば与えてしまう。
自分の行動の結果が、世間からどんな目で見られているのか気付いていない。

彦も同じ事を心配していた。
日々の暮らしをただ安らかにと願う父は、自分と、懐に受け入れた存在の幸せを願っている。
自分の求める幸せがあまりに近くにあるせいで、下を向いた父は周囲の光景に気付けない。




だから、自分は今ここにいる。

彦は、父の傍から動けない。
悔しいが、やっぱり父の傍に一番長く居るのは彦で、一番多くの知識を持つのも彦なのだ。
父の傍には一番有能な人間が残る。

代わりに、自分達が外に出る。



孤児の集まりから出来た集団でも、利益が出ると分かれば利用しようとする連中は出てくる。
ぜひ我が国へ、なんて言葉で飾り立てて、俺をこんな所まで引きずり出したのが良い証拠だ。
早めに俺が来なければ、強硬手段に出たかもしれない。

隙あらば利用してやろうという魂胆が丸出しな彼らは、実際目にすればただの子供と侮って、客員として迎えると言い出した。
年齢だけを見て、御しやすいとでも思ったのだろう。
それとも、孤児などを迎え入れるのは無駄に高い矜持が許さなかったのだろうか。

元より、彼らを主として使える気などなかったので丁度良かったのだが。

町の人間と取引をしてはいたが、自分達のほとんどが捨て子である。
最近は、山人の預かり子も混ざってはいるが、本質は同じ。
どの階級の人間達からも弾かれた者達であるのは変わらない。

あちらの勝手で弾き出された集団になど、すでに興味はない。
自分達は、ただ玉兎であれば良い。
白兎様の養い子だと言うだけの集まりなのだ。
それだけを胸に育って来た。





















さて、これからどうしたものか。

強行に走ろうとする者達を押し留める為に、あえてその懐まで出て来た。
自分達の招きに嬉々として応じたと勘違いしている者達は、しばらく動くまい。

玉兎寮の平穏を崩さぬ為に立ち回らなければ。



学べるだけ学べ、という、玉兎寮の教育方針により、そこらの人間等足元にも及ばぬ知識を持っているのは自覚している。

始めは、不埒な考えを持った、その頭にこそ食いついてやろうかと思っていた。
本分は薬師と言っても、それ以外の知識とてうなるほど持ち合わせている。
集団の頭に存在する男に取り入り、動きを見定めると共に、矛先を玉兎寮からずらす。
そう思っていたのだが。







相変わらず、まったく持ってその意図もないのに、相手にとって最善のことを無意識にしてくれる人だ。

送られた荷を見てそう思う。

あの人は、これがどれだけこちらで自分の力になるかなど、考えても居ないのだろう。
入っているのは、その大半が、自分が好んでいた香りの物に厳選されている。
まったく二心なく、自分の為だけにこれを送ってくれたのだ。

だが、それが自分のこの上ない助けとなる。
上手く立ち回れば、可愛がっていた下の兄弟達の助けにもなろう。

その為にも、今することは、風呂に入ることである。
久しぶりに使うことになる薬草水の香に、気分がほぐれる。







さあ、まずは自らでその優位性を証明しよう。
明日からは、また忙しい日々に追われることになる。


手入れの行き届いた瑞々しい肌に、艶めく髪。
塗り込めたクリームから漂うは花の香。


あちらと違って、こちらではまだ蒸し風呂を主流としている。
不快な臭いをごまかしごまかし、焚き染めた香に頼るしかない。



はたして、兎の誘惑に勝てる女は居るだろうか?





自らを餌として振りまく兎の薬。
それに引き寄せられるのは、女だけではないだろう。
母や妻、娘や愛人、それらが必死に頼る相手を蔑ろにできる人間は少ない。
彼らの心を得てしまえば、下手に表で力を付けるより役に立つ。

はっきりと見える個人への寵は、妬みにも繋がる。
妬み恨みに繋がる権力などに興味はない。

相手の懐に入り込み、なくてはならない存在になればいいのだ。
無害な兎の皮を被って、気付かれぬよう入り込めば良い。

権力闘争などに興味はない。
欲しいのは、日々を生きる幸せ。
正しく兎の子である自分達は、優しさが詰まったようなあの場所、自分達の巣穴が守れればいいのだから。



だから、今は少し悪巧みをしよう。

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