HOME > 兎穴の分かれ道 > 保管庫 > 早く隠居したい~マヨネーズを目指して~ > 番外 いとしいとし

遠くを見る、その背を追う。
振り返ったその顔が夕日に染まる。
手を伸ばせば、繋がれる手のひら。

笑う父の顔。
振り返れば、兄弟の顔。
両手に掴んだ家族のぬくもり。


「今夜は何を食べようか。」

何が良いだろう?
ここに引き取られて、食事を不味いと思ったことがない。
時折妹や弟が手伝って失敗した、と出されたものすら僕には美味しく感じる。
だって、『それ』は僕らの為に作られたものだから。


町に居た時。
必死にかき集めた金を渡して、頭を下げて、下げて下げて頼まなくては、まともに相手をして貰えなかった。
子供だからだって事もある。
一目で親なしだってわかる、薄汚れた格好をしていたからだってこともわかる。
時折、自分の様な境遇の子供が悪さをするからだってことだって知っていた。
けれど、それをどうにかする力は僕らにはなかった。
子供なのも、親がいないのもどうしようもない。
身なりに気を使えるほど、生活に余裕が持てるわけでもなかった。
だから店仕舞い前の、相手が売り切ってしまいたいと思っている時を狙って頼む。
このお金で売って貰えないか、と。
ちゃんとお金を払っても、僕らが買えるのは余り物に近い、そんな物。

もちろん、優しくしてくれる人だっていた。
余ったからとおまけしてくれたり、分け隔てなくきちんと売ってくれる人だっていた。
けれど、それは町の外の人達。
行商で訪れる、普段は町に住んでいない人達がほとんどだった。
彼らは出先であったから、自分にはなんの関係もない土地だったから、みすぼらしい子供達に親切にしてくれたに過ぎない。
彼らも、自分の住んでいる土地で僕らのような存在に出会ったら、町の人達と同じ態度を取ったかも知れない。
仕方ないのだ。
僕らは余所者だから。
誰も彼も、人に手を伸ばせるほどの余裕がない。
自分達の生活を守るのだけで精一杯なのだ。

けれど、わかってはいても。
わかってはいても、その視線を忘れたわけじゃない。
当たり障りなく接する態度の奥の、その視線を忘れられるわけがない。
自分達と『違う』者達への、疑う視線を忘れられるはずがない。


「煮干の鍋!」
「玉子焼き!」
「和え物!」
「やだ!芋汁!」
「この前貝を漬けたでしょう?あれが食べたい!」


皆が、自分の好物ばかり候補に上げる。
ばらばらの希望を告げられて、父様は困ったように笑う。

「…まよの干物。」

自分の好きな物が食卓に上がれば嬉しい。
でも、正直な所、何が出てきても嬉しい。
当番の子供達が作る食事は、とても美味しい。
父様が、兄様、姉様達が仕入れてくれた、僕等の為の食料。
萎びても、色が変わってもいないそれを料理するのは、笑いながら調理する者達。
自分の為に何かをしてくれる存在があるってことが、どれほど嬉しいか。
それを僕らは良く知っている。
僕らの為に用意された食材。
とても嬉しい。
とても嬉しいから、少しでも美味しく料理したい。

好意に好意を返すのは、当たり前。
それでも、それを嬉しく思う位には、それは僕らから遠ざかっていた現実だ。
辛い現実に、罪を犯す者達が出てしまう程、擦り切れてしまったこともある。
それでも、一度失って、また手に入れた。

「うーん、何にしようなあ?あ、でももう当番の子は作り始めてるかも。」

エー駄目だよ白兎様、と。
くすくす笑いあう。
知ってたよ、父様。そうかも知れないって思ってたけど、言ってみただけ。
別に献立が何だろうとたいして気にしない。
それでも律儀に希望を出したのは、ただの言葉遊び。
なんでもない、それでも楽しいから。
現に、ほら。みんな笑ってる。僕も含めて。

「今日は仕方なくても。明日は干物にしようよ、白兎様。」

くすくす、笑いながら言い募る。
別に明日の献立も何でも良い。
何が出てきても美味しいのはわかっているから。
それでも言い募るのは、優しい父にちょっとした我侭を聞いて欲しいから。
だって、希望の献立を伝える時まで、僕の希望を覚えててくれるってことだろ?
兄弟達も好きだけど、それでも一番好きなのは父様だから。
だから笑いながら、繋いだままの腕を引く。

「えー、あたしのご飯が良い!」
「いーもー!」
「明日の当番は姉様だもん!姉様なら卵にしてくれるよ。」

笑いながら、皆で家路を辿る。
夕日を背にした顔は赤味が増して、どれも幸せそうだ。



遊び半分の言い争いも、次第に熱が入って興奮してくる。
苦笑して父様を見る。
見上げた顔は意図を正確に察してくれ、するりとその手が外される。

隙間風が入ってひやりとした手に、少しの寂しさを覚えるまもなく頭を撫でられる。
僕だけではない。
寮に居る子供の多くが、手を繋いだり撫でられたりするのが好きなことを父様は知っている。
そして手が離れた瞬間寂しげにしている兄弟達がいるのも知っている。
父様の体は一つしかなくて。
父様の手は二本しかない。
それでも、父様は誰一人忘れないと知っているから、だから少し寂しくても我慢する。

触れられ、熱が移った様な場所を自分の頭を手で押さえ、もう片手に繋がった弟を差し出す。
大分興奮していた弟も、父様が手を繋ぐとそちらの方が嬉しかったらしい。
現金なものだ。
騒いでいた周囲も自然静かになる。
父様の体はあまり強くないから、だからみんなそちらを優先した。

両手が自由になった僕は、くるりと背後に向き直る。
後ろに見えるのは、長く伸びた影法師。
木々で遮られたそちらは、あまり遠くまで見渡すことは出来ない。
寮までの道は、他に使う人間がいないので僕達以外の影も見えない。
ひゅうと、ゆるく結んだ手のひらを風が通り過ぎる。

視線を遮る木々を通り抜け、僕の視線はあの町へと向かう。



父様、知っていますか?
世の中すべてが敵だった自分達が、すべてに感謝しながら生きることができる、それがどれほど稀有なことなのか。

あなたが自分の子だと呼ぶ自分達が、それを喜ぶと同時に、酷く矛盾した想いを抱えていることを。


群れるのは、他を隠れ蓑にして自分が逃げる為。
自分の存在を、周囲から隠す為の場所だった。
寝床は、動けなくなった体を隠す為。
食事は、飢餓の苦しみから逃れる為のもの。
人の持つものを羨んで、なぜ自分の手にはないのかとそれを憎んだ。

ねえ父様。
僕らはあなたが思っているほど綺麗な存在じゃない。


町の片隅で、隠れるように暮らしながら、ずっと思っていた。
寒くて、腹が減って、辛くて、そして惨めで。


里は、どこの誰とも知れない子供にやさしくない。
立場を保障してくれる保護者のいない存在は、得体の知れない、気味の悪い存在でしかない。
無い者として扱うその瞳の奥に、厄介者として煙たがるその奥に、得体の知れないモノに対する恐怖が見え隠れするのに気付いていた。
里の人間が僕らを怖がるのと一緒で、僕らも里の人間が怖い。
里の人間のすることなんてわからないから。
何をされるかわからない。

こんな思いをする為に生まれてきたんじゃない、と。
世の中すべてを怨みながら、それでも、ただ苦しみから逃れる為に必死に生きていた。






そんな自分達が父様に出会うことができた、その奇跡。

ああ、自分達は、寂しかったのだ。
怒鳴られるかも知れない、石で打たれるかも知れないという心配をしなくても良い。
ただ、力いっぱい好意を寄せられる、寄せてくれる存在が欲しかった。




父様、手を握って下さい。
繋いだその手を振り払われることはないと、今なら信じられる。

父様、何を考えているんですか?
あなたが黙っていても、決して自分達を厭っている訳ではないと、本心から信じることができる。

父様、花が綺麗です。
心から思えます。あなたと生きる世の中のすべてが美しい。

父様、新しいことを覚えたんです。
あなたがくれる物なら何でも欲しい。一つでも、あなたに近く在りたい。

父様、私は今日、他人が幸せそうにしているのを、喜ぶことが出来たんです。
幸せを知ったから、幸せを認めることができた。



父様、父様、父様‥―――

幸せです。
昔受けた、厄介者とでも言うようなあの視線を忘れたわけじゃない。
近づくな、と言われた事は未だに覚えている。
でも、そんなことよりも、あなたの笑顔が見たい。
裏では何を考えているのかと警戒する必要もない、大切な兄弟達と一緒に暮らして。
あなたの子として育てることが何よりも嬉しい。
あなたが望むのなら、降り積もった雪のように真っ白な、一転の曇りもない子供になろう。
その下に隠した泥まみれの過去なんて、なかったように忘れてみせる。
あなたを父と呼べるのなら、過去を忘れることなんて容易い。

幸せです。父様。

それは本心から。

父様、父様‥―――





けれど、父様。

父様。

あなたは一緒に寝ては下さらない。





見えるはずもない町を睨み付ける。
振り返って、前に見える山、その麓にあるはずの場所を睨む。
ぎゅっと握った手の平に爪が食い込む。
兄弟達の笑う声がする。

ぎゅう、ぎゅう、強く、強く手を握りこむ。






自分達の父様は、白兎様、あなただけ。

けど、父様には本当の家族がある。


父様の御家族だから。
だからこっそり手を回して、他の家みたいに失敗することのないように、転ばぬように手を回してきた。


父様の、血の繋がった、家族だから。

血の繋がった‥―――

自分達が決して父様に与えることの出来ない繋がり。








父様、父様。

幸せです。
世界はこんなにも美しい。
それで満足するべきなのはわかっています。

けれど、父様。

もし、あなたが家を捨ててくれたら。
もし、家族から離れて自分達の下へ来てくれたら。
もし、父様のすべてを手に入れることが出来たら。

そうしたら、もっと幸せになれるんでしょうか?

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