HOME > 兎穴の分かれ道 > 保管庫 > 早く隠居したい~マヨネーズを目指して~ > 本編 7

やあやあ久しぶり。

どうやらようやく文字を習えるらしいよ、祝ってくれ。

習うって言ってもまだ絵巻物を貰っただけなんだけれど。
今まで寝物語を聞かせて貰ったりしただけで書物を見たことはなかったんだ。
まあこの時代紙は貴重だから分別の付かない幼児に近づけられないのはわかるけどね。
我が家はあいにくと子供の遊び道具に貴重な書物を与えられるほどに裕福ではないのだ。

胸を張って言うことではないけど。

今までは外で遊ばされたり蹴鞠をしたり貝合わせとかしてみたり寅の悪戯に掛かったり寅に仕返しをしたり屋敷の中を探検したりして暇を潰してたから書物が手に入ったのはとても嬉しい。
外で遊びすぎれば熱を出すし蹴鞠をすれば頭が重くて転ぶし貝合わせは暇つぶしにはいいんだが母上の嫁入り道具だったらしいそれば色褪せたり所々剥げたりしてなんかつつましい我が家の経済状況から将来の強制ニート生活も慎ましすぎることになるのかとか連想してしまって軽く欝になるからあんまり好きじゃない。

寅はもう子供のすることだと大人の態度でスルーしておくことにする。
断じて力で適わないからとか微妙に情けない理由で諦めているわけではない。


自由に歩き回れるようになってから気付いたんだけど頭で知ってたことと現実は違うってことを思い知らされることが一つあった。

身分の差ってのは存外に大きいものらしい。
使用人の仕事場とか住み込みなので邸内にある小屋の方に俺が入るととたんに畏まられてしまう。
厨房に入り込もうとしたら土岐に掴まって摘み出されてしまった。
初めはわけがわからなかったが周りで畏まってる家人達を見て考えを改めた。
一応人類皆平等って教育されて生きてきた俺には少し寂しい気もするけれど彼らにとってはそれが当然なんだし、俺が許して気安くして貰っても何かあって罰せられるのは彼らだ。

俺が庇ってどうにかなるものならいいけど彼らの雇い主は俺じゃない。
父上だ。
土岐は乳兄弟だしある程度の身分はある。
だから食事を共にするっていう多少の我侭は俺の年齢もあって許されている。

けれど彼らは違う、たとえ俺が目の前で勝手に転んだとしても叱られる事になるのは彼らなのだ。
小屋の近く、庭の隅で地面に木の棒で文字を書いていた子供を見た時はなんとも言えない気分になった。

識字率が世界一を誇っていたという江戸の世はいまだ遠い先の世だ。
そして職を自分で選べる民主主義の世もいまだ遠い。
せめて自分の名前だけはと必死に綴っただろう文字を見るのは辛いことだ。

なんだかんだで俺はスペアとしてでも後継の候補ではある。
教養を学ぶことはもちろんとして衣食住が保障され護衛に守られた邸内で暮らしている。
退屈で死にそうになる日常でも気付いてみれば過ぎるほどに恵まれた待遇なのだ。


とまあ気分新たに巻物に向かってみてもそれはそれ。
気分でどうにかなるほどミミズ文字は甘くない。
なんだよこれ、読めないよ。
おまけに話し言葉と書物の言葉、ついでに手紙としての書き言葉ってそれぞれ独特の言い回しがあるから地味にややこしい。
毎日暇な時間ができると絵巻物や面白がって父上が送ってくれた手紙なんかを土岐に指差しながら読んで貰ってるが未だに難しい。

崩してあって読みにくい上に枕詞やらなんやらでいっぱいいっぱいだ。
調べたいことがあるんだがまず初めに文字が読めないと何にもならん、ああ、早く文字が読めるようになりたい。

落ち着いたらまた連絡します。

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