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「…………えっ?」

紡ぐべき言葉が見つからない。
何を言われたのだろうか?

「町へ行けぇ。そこなら、ちゃーんと飯も食えるし暖かい布団もあるってぇ話だ。」

頭に触れる温もりが、撫でられたからだと理解するのにしばらく掛かった。
覗き込むようにして声を掛けてくるのは、自分の親だ。
親、だったはず。

「これから冬になる。今までよりは収穫が増えたって言っても、この冬も辛くなる。」


ついこの間まで、増えた収穫を喜んで村のあちこちで笑い声が聞こえていたのだ。
町から肥料が送られてくるようになって、年々取れる作物は大きく育つようになった。畑が増えたわけじゃないから、すごく量が増えたわけじゃないけど。それでも、普段の食事に時々一皿増える程度には豊かになったはずだ。

「町にな、肥料を作り出した玉兎ってのがいる。そこにいけぇ。」


米も。
米も、段々と多く取れるようになったではないか。
まだ村の衆だけで知恵を絞って作物を育てていた頃。
毎年冬になれば凍える手足を摩りながら薄い汁を噛み締めるように啜っていたあの頃。
食料がなくなるのを恐れて、恐る恐る貯蓄した米や野菜を取り出していたあの頃。
底をつく食料に、ふらりと訪れた男の目つきに、数日後に消えた姉の残した古着に腹の底から冷えた心地のしたあの頃。
あの頃よりも、あの頃に比べれば生活は格段に豊かになった。それなのになぜ。


「あいつらに拾って貰えれば、お前はちゃーんと暮らしていける。昔よりはましにはなったが、それでも冬がきつい事に違いはねぇ。越せるか越せねぇかびくびくしてるよりも、お前はあっちにやった方が幸せだぁ。」

言い聞かせるように、何度も頭を撫でられる。
ごつごつした、ささくれ立った手に髪がひっかかってじょりじょりとした感触がする。

「今のまま冬を待っても、家族全員で腹ぁ減らしてひもじい思いをするだけだぁ。それなら、早いうちに決めた方が良い。わかるなぁ?」

限界まで耐えて、それからどうにかするなら、金を作るしかない。
無くなった食い物は買って来なければ増えないから。
脳裏に、姉の後姿が見えた。

私は、玉兎に行かされる。
おっとうがそう決めたのなら、私にはどうにもできない。
けど、姉はどこに行ったんだろう。
姉を連れて行った男が、冬を越す金をくれた。
姉は、姉も、玉兎にいるんだろうか。

家の中にたった一つだけの囲炉裏。
薄暗い室内は、小さなその明かりだけでは所々に影が揺れる。
隣に並んで、見上げたおっとうの顔は口元がゆがんで見えた。

聞かされた話は、半分夢のようで。
自分のことだというのに、人事のように耳に聞こえる。
無意識に、目と目の間、眉間の辺りにわずかに力がこもる。
なぜそんなことをしたのかは理解できなかったけれど、そうしなければいけない様な気がした。
否定も肯定も出来ずに、ただ動かずにいることしか出来なかったが、見上げたおっとうの口元だけが妙に記憶に残った。









「おや、玉兎に行くのかい。元気でねぇ。風邪ひくんじゃないよ。」





「あの町に行くのかい?なら安心だねぇ。良かった良かった。」





「あすこなら、良いねぇ。元気でおやりよ。」





私の中には、姉が村を出た日、声を掛けた人間の記憶は無い。
















その村は、琥珀色の村。

琥珀とは、以前寮の兄達に見せて貰った木の汁の塊のことだ。
石の様な外見ではあるが、他の薬草と同じく粉にして飲ませる。
時折、中に虫が閉じ込められることもあると聞き、あんな中に入れられたらひどく動きずらいんじゃないかと思ったものだ。

もはや遠い過去の様に思えるほどこの場所に、兄弟達に慣れてしまった私だが、琥珀を見るとなぜか村を思い出す。

思い出は琥珀色、と白兎様が言っていたのも覚えているが、それは違うと思う。
私にとって、琥珀の村の思い出はどろりとした空気の思い出である。

並ぶ田畑に、そこに住み着く村人達。
産んでは死に、死んでは産んで、日々を精一杯生きる場所。
閉じ込められたと言っても良いほど狭い世界で生きる村人達に、限られた実り。
働き手を欲すると同時に、増えた食い扶持は皆の腹を空腹に追いやる。
冬が来ては、寒い夏が来る度に誰かが消え、見てはならぬ、言ってはならぬことが増えるのだ。

次は誰が消えるのだろう。
消えた者はどこへ行ったのだろう。
奉公に出された兄姉に、再び会うことは出来るのだろうか。

血を分けた兄弟を失くした子供の目が、子を捨てねばならなかった親の視線が、どろりどろりと纏わりついていた。
だから、私は思い出す。
琥珀の中で動けなくなった虫は、身動きの取れないあの村に似ている。


玉兎へ行け。
そう言ってくれた顔は覚えているけれど。
私にはもう、あの場所は遠い。

子供は、存外に親の顔をきちんと見ている。
ましてや、子供だからと言っていられない村で育った私だ。
そう言った時の両親の顔も、ちゃんと覚えている。

どろどろとした琥珀の幻を見ている時、同じように私の胸の中も琥珀が渦巻いている。

おっとう、おっかあ。
私に家を出ろと言った時、その顔がかすかに喜んでいたのは無自覚だったのだろう。
すまない、そう言いながら、その奥で隠した心が安堵の色を滲ませていた。
人買いに売るより、離れた町に居るという同じ孤児の集まりの所に行かせる方が私の為だと思うだけの情はあったのだろう。
私が家を出された時、あの時はまだ家には余裕があったから。その余裕も、家族全員で冬を過ごせばなくなるようなものではあったけど。
一人分の口が減って、あれからはきちんと冬が過ごせているのだろう。もしくは、子を金と引き換えにしなければいけないほど困窮したか。どちらにしても、まだ寮で実の兄弟と再会したことはない。

家を出て。
確かにここで幸せではあるけど、あの時、二人のその顔を見てしまった私は喉奥に琥珀を飲み込んだままだ。

生まれ育った村に、町で作った肥料を送っているのは知っている。
望めば、村に帰ることも親と会うことも出来るだろう。
だけど私はそうしない。

おっとう、おっかあ。
あの時、嘘でも良いから泣いて欲しかった。
泣いて、離したくない、ここに居ろと抱きしめてくれていたなら、今頃私は村に顔を出していただろう。
大きくなったよ。一生懸命勉強をして、仕事を任されるようにもなってきた。そう言いながら、胸を張って家族に会いに行っただろう。
厄介払いが出来て嬉しい気持ちがあったから、だから泣けなかったのだろうか。
あの時、二人がくれたのは重い手の平。撫でられる度、体が重くなってその場から動くことも出来なかった。
囲炉裏の火でゆらゆらと揺れる、歪んだ口元が思い出される。


あの日、ついぞ言葉を口にすることは出来なかった。
以来、私は喉奥に琥珀を飲み込んだままだ。それが再び吐き出されることも、喉を通り越して胃の腑に落ちることもない。その琥珀は、常に私の中。
恨んでいるわけじゃない。
けれど、そのことを思い出す度に私の喉はひどく詰まる。
そうして息が苦しくなる頃、白兎様の所に行って撫でて貰うのだ。
白兎様は何も聞かないけど、離れがたく袖を掴む私を好きにさせてくれる。


玉兎に来て知ったことが、一つある。
玉兎は進んで子供を引き取ろうとすることはない。
親があるのなら、帰る所がある子供は親元へ帰している。
あくまで、引き取る人間のいない、捨て子の世話をしているだけなのだ。
そして私は、今ここにいる。


あの時、嘘でも良いから私が必要だって言って欲しかった。
そうしたら、忘れることも出来たかもしれない。
けど。
必要だって言ってくれたのは、繋いだ手を離さないでいてくれたのは白兎様だった。




今ならばわかる。
姉が得られなくて、私が得た幸運は二つ。
売らねばならなかったほど生活が苦しいわけじゃなかったから、口を減らすだけで良かったから捨てられた。
それが一つ目の幸運。

二つ目は、白兎様の子供になったこと。
あの人は優しい。それは時に不安になるほど。
いつかそれが仇になるんじゃないかと幼心に感じてしまうほど。
けれど。
あの人は、私を捨てない。
あのどこまでも優しい人は、最後の最後まで私の手を取って、離さない様にと泣いてくれるだろう。
それが、酷く……酷く嬉しい。

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