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君の名前は?



そう自分に尋ねたのは、同じ位の年齢の子供。
里の人間に名を聞かれたのは初めてだった。




白兎様。
彦様。


それが玉兎寮で上に立つ人の名前。
玉兎寮の中では、身に付けた能力によって割り振られる仕事の違いはあるけれど、区別するのはその二人だけ。

そう聞いた。





山から降りた自分を迎えたのは、力の弱そうな奴だった。


これから里に降りて、玉兎の一人になるように。
そう言い聞かされて村を出たのだ。
こんなのは聞いてない。
こんな奴、俺がちょっと押しただけで倒れてしまいそうじゃないか。







自分を襲った思わぬ理不尽に、仏頂面を隠せずにいても、白兎「様」は変わらず笑っていた。
彦様にはちょっと睨まれたけど。

俺より年かさで、体つきもしっかりした彦様だけなら、俺も素直に頭を下げられるのに。
なんでこんな細っこいやつに頭を下げなきゃいけないんだ。
それでも、何度も親に言い含められてきたのでそのまま帰るわけにもいかない。
腹を括って、形だけ頭を下げた。











俺に与えられたのは子供が数人で寝起きしている部屋。
年齢の低い子供や、寮に来て日の浅い子供が集められる。
大きくなったら他の部屋が貰えるらしい。
毎日、年かさの人間が代わる代わるやって来て、世話を焼いてくれる。
毎晩、寝物語を話してくれて、おまけによく眠れる香まで焚いてくれる。
笑えることに、寝物語の内容まで白兎様が出てくる。

周りの連中は、何が楽しいのか能天気に笑ってばっかりでわけがわからない。
ここにいるのは知識を学んで強くなるため。
もっとがんばって勉強しないでどうするんだ。


白兎様、白兎様。

周りの人間が口にするのはその名前ばかり。
彦様のほうが格好良いのに。
一番初めから寮にいる年かさの少年達に至っては、彦様のことを呼び捨てである。
それでも、彼らは白兎「様」だけは呼び捨てにしない。

あんな子供のどこがいいんだか。









ここに来てから、毎日風呂に入る。
お湯を張ったそれは、湯船というらしい。
良い匂いの水が入っていて、それに浸かるととても気持ち良い。
風呂から上がると、二階に集まって時間を潰す。
本当ならその時間も勉強したいのだが、髪を乾かさずに外に出ると風邪をひいてしまう。

その代わり、その間は彦様に話を聞かせて貰う。
他の子は白兎「様」のそばに集まって話を聞いてるけど、俺は早く一人前になりたいんだ。







彦様の話はとても面白い。
俺が彦様の話を聞いていると、代わる代わる人がやって来る。
皆、彦様と同じ位の年齢の子供。
一番の古株の連中らしい。
みんな、白兎様は自分達の父親だと声を揃える。
なんでそんなに白兎「様」の話ばかりするんだろう。
確かに、その話は面白いものばかりだけど。







毎晩聞かされる、その話は面白い。
彦様や周りの人間は、驚くほど色々なことを知っている。
自分達の世話をしてくれる他の連中も、皆物知りだし、器用だ。
みんな白兎様が教えてくれたそうだ。
白兎様って、すごく物知りなのかも。

少しはすごい奴なのかも知れない。








周りの、同じ年の子供と良く話すようになった。
やっぱり、話題に出るのは白兎様。
この前は、見たことのない美味しい料理を作ってくれたらしい。
良いな、俺も食べてみたかった。
白兎様って料理もできるんだ。
ちょっとだけ、白兎様の言うことを聞いてもいいかもって思った。







最近は、あんまり勉強ばっかりしてても大きくなれないって白兎様が言うから、調合を手伝わせて貰う事にした。
蒸留ってすごい。
ただ沸かしたお湯の上に薬草を置いておくだけなのに、採れた水はきちんと薬草の効能がついてるんだ。
白兎様ってすごい。
なんでこんなこと思いついたんだろう。
そう思って彦様に聞いてみたら、直接聞きにいけって言われた。
聞いてみたいけど、正直、まだ照れ臭い。
俺、まだ白兎様に自分の名前も伝えてない。
俺のこと覚えててくれてるかな。







昼寝の時間に、白兎様に話し掛けてみた。

すっごく頑張って勇気を出しけど、白兎様はいつもみたいに笑ってくれてた。
それから、今までずっと気に掛かってた話をたくさん聞いた。
白兎様はすごい。
白兎様に掛かると、毎日、日が昇ってから日が沈んでも嬉しい事がいっぱいだ。

今まで、生きていくのに精一杯で、そんなこと気にする暇もなかった。
気が付いてみれば、毎日は幸せでいっぱいだ。

産んで貰ったこと。
生きてこれたこと。
勉強できること。
友達がいること。
ご飯が美味しいこと。
綺麗に晴れた日があること。
優しい雨が降ること。
それに気づけたこと。


その日は、嬉しくて。
眠る時間の寸前まで、年かさの人達の所にいた。
彦様と白兎様は屋敷に帰られてる。
快く入れて貰ったその部屋には、いつも自分達の部屋で寝る時にも使う香の匂いがした。
毎晩交代で寝かし付けてくれる人が持ってくるその香は、張り詰めていた気持ちがほぐれて、すごく気持ちよく眠れる。
そうして気持ちよくなった所で、白兎様の話を聞くのだ。
白兎様の言ってたこと。
毎日幸せに生きること。
いつも幸せは傍にあること。

いつものように眠くなってしまった所で、話を聞いてくれていた人の声がした。

「白兎様は俺達の父上だ。お前もそう思うだろう?」

そうだな、あんなに意地になって否定することなかったんだ。
あの、優しい優しい白兎様は、確かに俺達の父上だ。
白兎様が幸せなのが俺達の幸せ。











新しく引き取られて来た少年が口を尖らせる。

「なんであいつだけ特別なんだよ。年だって俺と少ししか変わらない。」

思わず、苦笑した。
以前の自分を見ているようだ。

「なんでそう、へらへらへらへらしてるんだよ。お前達も前は町で生活してたんだろう?」

不満そうな少年も、近いうちにここに慣れることになるだろう。
年若く見える白兎様に反発しても、その反動のように彦様に憧れる。
白兎様に馴染まない子供の反応は、大抵同じだ。
そして、その本人の彦様の口からは白兎様の褒め言葉しか出てこないのだから。







なぜ笑うのかと言われても、毎日が幸せだからとしか言い様がない。



おそらく、彼の眠る部屋にも香が焚かれるだろう。
玉兎寮ではあまり使われることのない香は、寮に馴染めない子供がいる時だけ使われる。
慣れない環境で生活する子供が、ゆっくりと眠れるように。
特別な調合のそれは、彦様と、古株の人間の中でも特に能力のある者しか作れない。
自分も覚えがあるあの匂いは、慣れぬ場所で尖る子供の心を溶かすだろう。

外伝 うちに巣食いたるは蛇へ
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