HOME > 兎穴の分かれ道 > 保管庫 > 早く隠居したい~マヨネーズを目指して~ > 外伝 うちに巣食いたるは蛇

報告を持ってきた部下の言葉に、興味を惹かれた。


「玉兎?」


良く効く薬を調合し、商人、職人衆と組んで町に入り込んでいるという。
ここ数年、急に名が売れ始めた町の活気の秘密。

付き合いのある商人を通して情報を集めてみれば、なんとまあ、孤児の集団の世話になって栄えたということらしい。
なんと言って良いものか。

呆れた物だ。

それでも、町が栄えたことは事実。
興味を惹かれるのは、彼奴等が扱うという薬の類に、商人と対等に振舞うその知識。

試しに、引き込んでみるのも一興かも知れない。








脳裏に巡るのは、先ほどの報告の内容。

玉兎という名の男を筆頭に、孤児が寄り集まった所から派生した薬師集団。
突然現れ、気が付いた時には町の商人や職人に取り入っていたと言う。
何か繋がりがあるのか、早くに接触した呉服屋と、共に関わった職人を中心に手を伸ばし、今では名を知らぬ者はおらぬ、と。

「玉兎、か。取り入り損ねた商人達は、さぞや歯噛みして手をこまねいているのであろうな。」

気付いた時には、銭を生み出す種に接触する機会を失っていたのだ。
取り入ろうにも、すでに別の人間と繋がっている。
商人共も馬鹿ではないから、手に入れた繋がりをみすみす手放すようなことはすまい。
かと言って、簡単に諦められるほどなら、初めから欲しはしない。


繋ぎを付けた商人には、始めて話を聞いた数年前、すでに玉兎に探りを入れるように命じてある。
だがそれが芳しくない。
本来、蛇の道は蛇、とばかりに、その道の協力者を使うのが一番早いのだが。

様子見を兼ねて傍観していたが、さすがにそろそろあれの影響力も馬鹿に出来なくなって来た。
商人から入る報告では、何度間者を送り込もうとしても弾かれると聞いている。
まったく、無能な奴等だ。
たかが商人、そこまで期待するのは無理があるのかも知れないが。

しかし、いくら待っても情報が入らないとなると、さすがにこれ以上様子見で済ませることもできない。
我が家もそろそろ手を打たねば、他の連中に追い落とされぬとも言えぬ。
くだんの、玉兎の関わる町から広まった波紋は、すでに我等武家衆の探り合いにまで影響を及ぼしているのだから。

あの町に根付く武家の者は、久しく繁栄から遠のいていた。
商人達ばかりに利益が回ることに指を銜えて見ているしかなかったお家の連中も、ここ数年は堪え切れなくなったのか動きが激しい。
聞き及ぶ所だけでもすでに数家、賢しらに商売に手を伸ばしては身を滅ぼしたという。
だが逆に、上手く力を付け始めた連中もいる。
山すその屋敷が良い例だ。
今は大人しくしているものの、家を盛り立てた手腕は認められ、周囲の注目を買っている。
本格的に動き出される前にこちらも力を付けねば。

探らせぬと言うのなら、引きずり出すまで。











「お前が、玉兎か。」

目の前に座る男は、随分と若い。
見ただけでは、これがかの町を繁栄させた玉兎の一人と気付く者はいないだろう。
何しろ、奴等が得意とするのは薬の扱いだ。

薬師、医者と呼ばれる連中はとかく、使い物になるまでに時間が掛かるものだ。
ここまで年が若いと、普通なら信用を得ることすらままならないだろう。
だが、玉兎の薬の効果は伝え聞くだけでも飛び抜けている。
よほど幼いころから仕込まれたのだろうか。

なんにしろ、たかが薬師が一人。
巣から引きずり出してしまえば、もはや抵抗すら出来まい。
見た目からして、優男が一人。

質として飼い殺しにしつつ、おおもとである玉兎を利用していけば良い。
商人連中の追及はかわせても、さすがに武士には敵うわけがない。
我等にはその特権とも言える、力ずくでも、と言う手段すらあるのだから。
それが、身分の差と言うものだ。
裏から手を回せなければ、正面から話を入れるだけで良い。
身分からして、やつらに拒む手はない。
どれだけ力を付けても問題はない。

精々、こちらの役に立って貰おう。



















「玉兎?」


宴に招かれた、年若い男から目が離せない。
どうやら、父に招かれた薬師であるようだが。
周囲の女達も同様である。

カサつくことも知らぬとでも言いたげな瑞々しい肌。
(女子である自分でさえ、思わず触ってみたいと思ったほどだ。)

さらさらと流れる髪は、動くたびに風に揺れる。
(油で髪を固めている父上達はもとより、日々手入れをしている自分達ですら、数日もすれば重たげにしとってしまうというのに。)

世の殿方の常と違い、その男が纏うのは清涼な花の香り。
(強い香りで誤魔化すでもなく、ただ、ほのかに香るのだ。)


目の前にいるのは今まで見た誰よりも、自分達女の理想を体現している男。
あの男と同じものを手に入れることが出来たなら、自分はどれほど美しくなれるだろう。


父に招かれたと言うのなら、自分が呼び出すのも問題ないだろう。
他の者ならまだしも、あの男は薬師だ。
であるなら、自分があの男と会うことは問題にならないはず。
そう思うと、居ても立ってもいられず、明日の朝一番であの男に使いを出すことに決めた。

そう考えたのは私だけではなかった様で、結局は最も高位である母上の所に皆で集まることになったのだけれど。






男が来てからの生活は夢のようだった。

今では、常のことと諦めていたことすら、何の問題もなく解決していく。
日々、男から手に入れた不思議な水で肌を手入れし、私の肌は見違えるほど美しくなった。
花の香りを纏わせ、不快な香りを誤魔化していた日常など、すでに記憶に遠くなっている。

時間の許す限り、毎日男の下へ出かけ、同じ玉兎の者だという者達に世話される。
玉兎の者は普段の生活に取り入れているという美容法を施して貰うのだ。
それは栄養だ節度だの、それぞれの釣り合いだの良くわからない物を把握して、日々微妙に変えられているらしい。
詳しく話を聞けば小難しく、頭が痛くなる様なこともあるが、それはそれ。
すでに身に付けている者がいるのだ、私達がするのはそういった者を重用するだけ。
武家の者に重んじられるということが下の者の栄達なのだから。


男が来てからしばらくして、遅れてやって来た者達にはできるだけ便宜を図ってやった。
その時には男は、母上すら含めて周囲の女達で取り合いのようになっていたからだ。
男の弟、妹分にあたるという彼らを放っておくはずがない。
誰よりも美しくあろうとするのは女の性。
そして自分を守る鎧。
栄達の手段。

政治の手段として嫁がされる身の上といえど、相手方に気に入られるかどうかだけでも待遇は変わる。
美しさが世間の噂になれば、現状の家の格では望めなかった相手との縁談すらありえる。
栄えた家に嫁げるということは、その後の己の身の安全のみならず、その恩恵をも受けることができるという事だ。
なればこそ、気に入られるように己を磨くのだ。

肌が瑞々しさを増すのを見つけるたび。
髪が艶めかしく翻るたび。
己が身から香る花の香に気付くたび。

先に煌めく未来に酔いしれる。

次の宴はいつだっただろうか。
他家の客人が訪れるのは。
次に私の姿が人目に触れるのは。

本来なら、身内でもない限り易々と人目に触れるなど、はしたない事だが今ばかりは心が躍る。
自分の噂はどこまで広まるだろうか。
美しくなった自分を娶りたいと思う殿方は、どれほどいるだろうか。

ああ、先が楽しみで仕方がない。

そうして、私は今日も兎の巣窟へ足を運ぶ。

そうだ、嫁ぎ先にも玉兎を連れて行こう。
もう玉兎なしの生活など考え付かない。



















「玉兎からの物?」

意外な所でその名を聞いた。
少し前に呼びつけた薬師の巣の名だ。
巣から引きずり出した以上、できることもあるまいと、今はまだ放っておいたのだが。

今はまだ、玉兎の情報が少ない。
身柄を得たのと、全容を知るのとは違うのだ。
こちらが知っているのは、上手く利用すれば金を生み出すこと、そして薬の効き目が良いこと。
あえて言えば、身内で固まり過ぎている為に内情を探るのが難しいという所か。
もう少し情報を集めてから引き出すつもりだったが、杞憂に終わったようだ。

敵わぬと悟った獣が身を差し出すように、大人しく自分達から協力し始めたか。
妻から差し出されたのは、玉兎から手に入れたという品々。
こちらから脅すなりしてからでないと動くまいと思っていただけに、存外すんなりと手に入ったそれらに気抜けした。

しかし考えてみれば、玉兎がなびくのは当然でもある。
今まで玉兎が商売の相手としていたのは、あくまでも商人。
奴等は商品を作る存在でしかなかったのだから。

よくよく考えてみなくても、商人に商品を入れるよりは武家の御用達になる方が良いに決まっている。
それで得られる社会的名声も、報酬も段違いだ。

大人しくこちらに従うのなら、使ってやらぬでもない。
試しに、差し出された品を使ってみるとするか。



















私の従姉妹に当たる姫に縁談の話が舞い込んで来たらしい。

先だって行われた宴の際に見初められたそうだ。
我が家の系列の娘達の評判は上がる一方だ。

それもそのはず、日々玉兎に作らせた湯に通い、美しさに磨きをかけている。
見た目の美しさはもちろん、同じく通って来ている娘達と日々情報交換をしたり、時には共に学んだりもしているのだ。
玉兎の人間の持ち合わせる教養が、思っていたよりずっと高い物だったのもうれしい誤算だ。
最近では、皆で湯場の二階に集まり、玉兎に手伝わせながら文を書くのが流行っている。
花の香りに包まれるのは心地が良いし、教養の師として選ばれた人間とは違い、玉兎は常に控えめに意見を言うだけだ。
自分をどこまでも立ててくれる相手は心地が良いし、的確な助言なので出来上がった文の質も良い。

何より、常日頃から心安くある為か。
私だけでなく、周囲の女達も落ち着きが増した様に思う。
自らの心に余裕があるからか、とても落ち着いて物事に当たれるのだ。
玉兎があくまでも外の人間だということも大きいかもしれない。
家に連なる者であったなら、それだけで身構えてしまい、ここまで気を休められることもなかっただろう。
家と切り離された場所であったからこそ、今こうして安らいでいられるのだろう。

彼ら自身も言っていた。
もし自分が家臣として仕えていたなら、今の様に大勢の女達と関わる事はできなかっただろうと。
確かに、一家臣であったなら、家の女達とこれほど交流を持つことなど有り得ない。
他の人間に邪推されるからだ。
どこぞの家の人間と繋ぎを持とうとしているのではないか、と。
権力争いは、お家の中でさえ起こりうるのだから。
あくまで、家の派閥からはじき出された形の客員、それも薬師であるから許されることだ。
他の女達も同じ意見の様である。

まったく、玉兎を家内に迎えることにならなくて良かった。

私はこれからも美しくなって、従姉妹姫よりももっと栄えた家に嫁ぐのだから。



















最近、我が家に舞い込んで来る婚姻の申し入れが段違いに多い。
泳がせる目的で好きにさせていた玉兎だが、思わぬ方向で役に立ったようだ。
家と家との格式や力だけで見た場合、明らかに今までは有り得なかった家からの申し込みも来ている。

武家の女は所詮政略の駒、顔も知らぬ男に嫁ぐのが常とはいえ。
囲う方の男から見れば、少しでも見目麗しい女を妻にと望むのは当然である。
荊妻の故事でもあるまいし、美しい者を手に入れようとするのは男の性だ。
ましてや、権勢を誇る家であるなら、それを誇示する意味も持ってくる。
すべての申し入れが正室に、という話ではないが、それでもこちらが繋ぎを作るには十分である。


まったく、思っていた以上の成果だ。
正直、ここまで役に立つとは思っていなかった。

他家とのやり取りに使う文も、玉兎の品を使い始めてから相手方の感触が良い。
香を焚き込めるのだから致し方ないとはいえ、あの"香"独特の癖がないのだ。
清涼な、透き通ったような香りだけがほのかに香る。
珍しさも目立つとはいえ、それそのものの香りもとても良い物だ。

最近では家中でもその香りを纏う者が増えている。
湯というものに通っている女達ほどではないが、薬草水・花香水を使う際、水に触れることが多いからか、男達の体臭も以前より格段に減っている。

先日我が家で行われた宴も、いっそ見事なものだった。
訪れる客、訪れる客、それぞれが我が家の者達と対面するたび動きを止める。
そしてしばし考える顔になったかと思うと顔を伏せるのだ。
己の存在を我等から隠してしまいたいという様に。



さもあらん。

自分たちに比べて、格段に不快な臭いのしないどころか、清涼な香りを漂わせる我等。
それに比べて、自らの纏う臭いは。


それに思い至った時、身の置きようもない羞恥が彼らを襲っただろう。

事実、それ以降に再び我が家を訪れる者達は、あらかじめ身を清めてからこちらを訪れるという。
それでも、花や緑の匂いを纏う自分達を眩しそうにみている。
いつ訪れても同じく、香りを纏わせる自分達が珍しいのだろう。
実際は、普段使っていた物を玉兎から仕入れた品に変えただけなのだが。

しかし、それだけで効果がある物なのだから喜ばしい。
手間がかかるでなく、他家への権勢にもなる。

これほどまでに有用であるなら、名実共に我が家のものにしてしまったほうが良いだろうか。
大半が孤児出身だとはいえ、あやつらほど役に立つのなら取り込んで、その技をそっくり別の者に教えさせれば良い。
少々不快だが、一時的にだと思えば我慢もできる。



















とうとう私にも縁談が来た。
今まで来なかったわけではなく、正確には父上のお認めになった格の縁談が、だが。

話を聞いてみれば、我が家からしてみれば本来適うはずもなかった様な御家。
しかも正室として迎えるという。

滅多にないほどの良縁である。

あちらとしても不足があってはならぬとのことで、後日、少数で再度顔合わせをとのことだ。
本来なら婚姻前に顔合わせなどはしないが、それも本来あちらとの差がはっきりとしているが為。
普通は宴で遠目に垣間見るか、数少ない遠出の際でなくてはそんな機会には恵まれない。
格に目をつぶってでも手に入れる価値がある娘かどうか、手を組むに値する家かどうか直に確かめたいのだろう。

目を掛けられれば御家の更なる栄華も約束されたような物。
その分、細心の注意を払って取り入らねばならない。

だが、私としてはなんの問題もない。
日々磨かれ続ける我が身に、周囲の女達や玉兎との交流で話題も豊富。
ましてや、ふとした瞬間に自覚した自らの臭いに顔を顰めることもない日々。
心安らかな状態でその日を迎えられるだろう。



そういえば、父上達が玉兎を家中に引き入れようという話をしていたと伯母上が仰っていた。

そんなこととんでもない。
玉兎が家に仕えたら、私達に掛ける時間が減ってしまうではないか。
家の繋がりなど考えずに過ごせる、この湯を無くすなど言語道断。
ましてや、これから私には将来の夫君との顔合わせがある。
父上達男衆に玉兎を独り占めされては、たまったものではない。
あとで母上達にもお話して、話を通しておいて貰わねば。



















「まだ諦めんか。」

報告を受けた内容に眉を顰める。
玉兎に我が家中に下るよう申し入れをしたのだが。
どういうわけか、女達がまとまって玉兎を匿っているというのだ。

娘達だけであるならまあ良い。
子供の癇癪と捉えて無理やり引き出すこともできたのだから。
問題は、その中に自分達の母や祖母、伯母等の者達まで入っているということだ。
いくら当主でも、それら全員で結託されては無理に意見を通すわけにはいかない。
無理か否かではなく、それを成してしまえば禍根が残る。
面倒なことだ。

すでに初めに報告を受けた時から玉兎には圧力を掛けている。
いくら女達の囲いの中に居るとはいえ、自分から出て来させれば問題はない。
直接手出しはできなくても、玉兎へと運ばれる荷を封鎖するくらいはできるのだ。
商売の元となる荷が届かなければいずれ巣から這い出て来る。
それまで待てば良いだけの事だ。


しかし、出来るだけ早く出てきて欲しいものだ。

知らず知らずのうちに慣れていたのか、ここ数日で久しぶりに嗅ぐ事になった自らの体臭にむかつきが起こる。
荷が玉兎に届かぬということは、玉兎の調合する品も自分達の所に届かない。
家中の者も同様なのか、皆少し苛立っている様に感じる。

人間、一度手に入れた生活は早々もとに戻せない。

何より自分が不快である。
さすがにそろそろ、無理にでも出て来て貰う必要があるようだ。



















「父上はまだ諦めぬのか。」

いつものように玉兎の元に集まりながら、同じく集まった女達と情報を交換する。
父上達が玉兎の荷を止めているから、ここに来ても普段のような待遇は得られない。

これだけは荷とは関係のない、湯に浸かるのが精々だ。
薬草水も花香水も入っていなければ、髪を洗う薬すらない。
入らぬよりはましだが、使わずに濡らせばかえって櫛が通らないので髪も洗えない。

以前を鑑みれば、肌がべたついたりしないだけましなのだが、ここ最近が快適過ぎた。
日に日に乾燥していく気がする肌に、しとってしまった髪。
髪の一房が重たげに視界に入るだけでも癪に触る。

人数が集まるほど臭いもまた増すのだが、それでも集まらずには居られない。
愚痴でも零して居らなければ、やっていられないほど苛立っているのだ。
おまけに一度薄い香りに慣れてしまっては、強い香を焚いて誤魔化すことすらできない。
すでに強過ぎる香りは、自分達にとって不快でしかない。

それに家に戻れば、原因を作っている父達がいる。
ただでさえ怒りが募るのに、その状態を作った張本人達と一緒に居られようものではない。
早く諦めてくれるのを待つばかりだ。



















玉兎が集っていたという、女達の立てこもり先でもある場所に力尽くで押し入らせた。

荷を止めても強情に動かなかったのか、女達の剣幕に押されて出て来れなかったのか。

それはどちらでも良かった。
要は、荷を止めるほどに表立って圧力を掛けたのに、これ以上玉兎が応じないというのは外聞が悪かったのだ。

客員といっても、我が家中に連なる者。
それが当主に背くなど、御家の恥だ。
女達を治められぬというのも、さらに外聞が悪い。
どちらにしても、そろそろ潮時だったのだ。

あとは、無理矢理にでも連れ帰って当家に召し込めば良い。
それですべてが解決する。

そうすれば自らが纏う臭いに顔を顰めることもなく、さらに言えば、学ばせたあとの人間に任せて、目障りな孤児上がりを放逐できる。
我が家は以前より遥かに格上の家と対峙する手段を持ち、より繁栄をすることができる。

良いことばかりである。



















父上達に命じられた男達が、無理矢理門を押し開けて入って来た時、私は皆と集まって父達への怒りをぶちまけている所だった。

出入り口となる門を力尽くで抉じ開けたその乱暴さに、怒りはなお増した。

玉兎をここまで後ろ盾し、町に湯を開くまでにしたのは私達だ。
父達は今まで放っておいて、自分達の気が向いたからと私達から玉兎を取り上げようとした。
玉兎が客員待遇だったからこそ、私達はこれほど表立って玉兎を贔屓出来たのだし、今の状態が崩されるのはお断りである。

だからこそ、父上達の意向に逆らい、困った様に微笑む玉兎達を尻目に強行を取ったのだ。

不愉快極まりない。
不愉快極まりないが、ここまで力尽くで来るとは、もうこちらの言い分を聞く気もないことはわかる。

せめて、家中に引き入れたのちも、玉兎の薬を優先的に回して貰う位の我侭は許されるはずだ。
なんと言っても、私は周囲の娘達の誰よりも、御家の為になる縁談を戴いているのだから。
あとに構える顔見せ、それに引き続いて、嫁いだ後も薬を送って貰えるように話を付けなければ。

自分に許された当然の権利として、私は父上にそれを言うことが許されるだろう。
ここ数日で溜まりに溜まった鬱憤をも巻き込んで、私は父上の元へ向かった。



父上と取り付けた約束事はこうだ。

顔見せから引き続き、嫁ぐまでは特別に玉兎を優先的に使うことができる。

町に玉兎が作った湯は、数人の共を連れなければならないが、好きに使うことが出来る。

そして玉兎の薬は誰よりも優先的に私に渡される。
もちろんそれは、嫁いだ先であっても同じことだ。
私はお家の繁栄を担っているのだから。


少なくとも私にとっては、最大限の条件を許されたのではないか。
父上としても、此度の縁談、ひいては顔見せの重要性は重んじているようだ。

私としては、玉兎を今まで通り使うことができるだけで満足だ。
これなら、他の女達には悪いが、意地を張ってあんなに意固地になるのではなかった。

そう考えながら、久しぶりに玉兎の元を訪れた。















だが、そこに私を出迎える男の姿はなかった。



ありえぬ。

あれが存在しないとはありえぬ。

あれがいなければ、あの生活が取り戻せない。

あまりの衝撃に目の前が眩む。

玉兎が居なければ、私は美しくなれない。

すでに、肌はかさつき始めている。

髪は、自らの脂で湿り。

纏うは汗の臭い、脂の臭い。

体に、汗が、脂が、汚れが積み重なっていくよう。

まとわり付くすべてが汚れて感じられて、自らの肌が、髪が厭わしい。

私は一族でもっとも美しい娘として嫁ぐはずだ。

だのに、なぜ玉兎はいないのか。











いらいらする。

何もかもが気に障り、周りの全てに当り散らしてやりたい気分だ。

あれから結局玉兎を連れ戻すこともできず、以前の支度で顔見せをせざるを得なかったのだ。

ここの所の生活で鋭敏になった嗅覚は、わずかな臭いでも敏感に感じ取り、私を苛立たせる。
湯にも入れぬ生活のおかげで、着物と擦れる肌でさえぺったりと汚れを振りまいている気がする。

ああ、今、布のうちで擦れた部位はきっと汚れが布に移ったのだ。
目を閉じていてもわかる。
体の表面に薄く膜を張るように汚れが付いているのだ。

重たげに纏まった髪は、風をはらんで揺れることもしない。
触れれば、ベタベタと不快な感触を残して束になるだけだ。
無理矢理に洗ったこともあるから、きっと傷んでいるのだろう、手触りも悪いものになっている。

自らから立ち上る不快な臭いに、きつく焚き染めた香。
どちらも顔を顰めるのには十分で、それも私の機嫌の悪さを加速させていた。

本来なら、あの宴の日の玉兎のように、涼やかな姿でこの場に座っていたはずなのだ。
なのに、現状はこれだ。

あまりの不愉快さで眩暈がしそうだ。
現状への苛立ち、不快な臭い、それに加えてただでさえ緊張を強いられる顔見せの席。
余裕がないことを自覚できないほどに、それほどまでに余裕がなくなっている。


やわらかな香りに包まれて、心穏やかに過ごせていた頃が夢幻のようだ。

自分を取り巻くすべてに対して、叫びだしてしまいそう!

私にこれ以上は耐えられない!



















あの日、無理矢理に門を開け、玉兎の居る場所へ押し入った時。

玉兎達は、困ったような、悲しげな顔で微笑んでいた。

やはり女達に無理矢理示唆されて、ここに立て篭もっていたのだろう。
そう思った。

女達を家に戻し、玉兎から初めに遣わされた男と、ついでにその後到着したという弟・妹弟子達も一緒に、客分としてではなく家中に取り入れると伝えた。
その時も、玉兎達は微笑んでいたのだ。

その後、とりあえず玉兎達はその場に残し、女達を連れ帰った。
連日、娘に散々わめかれ、なんとまあ取り入ったものよとあきれ返ってもいたのだが。

大人しく微笑んでいた玉兎の姿があったからか、油断した。

その知識を継がせるべきものは、と思考をめぐらせ、悩んでいた数日後。
玉兎の元を訪れた娘から、その不在が知らされた。

あんなことのあった後である。
形ばかりではあるが、建物の周囲には見張りを置いていた。
内部に居たはずの玉兎の姿は忽然と消えうせ、その痕跡は町から消えていた。
すぐに探させたが、とうとう今まで見つからなかった。

古巣である玉兎にも使いを出したが、知らぬ存ぜぬ。

兎共の巣には、やつらを迎え入れた後に、客として迎えると正式に通達を出してある。
こちらは一度おおやけに認めた待遇を、力尽くで翻した身だ。
なぜ姿が消えたのかと逆に問われれば、それ以上問うこともできない。
それ以上の詮索は、御家の体面に傷を付けることになる。
そのようなことはできない。
口を噤むしかないのだ。

建物の中を探しても、手掛かり一つ得られず。
玉兎が遣っていた道具はすべからく持ち去られ、あるいは壊され。
何一つ手に入れることができなかった。


結局、逃げ出した玉兎達は見つからず、娘の顔合わせの日程を迎えてしまった。
自らの臭いに気分を悪くし、お前の責だとでも言いたげに睨んできた娘にはため息を付きたくなった。




それがケチの付き始め。

あの香りがなくなって、自分の体の汚れを強く意識するようになった頃、家中の人間も同じ様に余裕を無くしていった。
あれだけ余裕のない状態で行った娘の見合いも失敗し、それも影を落としている。
何しろ、話だけで途絶えたのではなく、「実物を見て」断られたのだ。
あれでは、他の良縁も望めまい。

家内の余裕のなさは、特に女達に強く現れ、そんな彼女達に接する男達も磨り減る。
悪循環がさらに悪循環を呼び、すでに玉兎という綱を切られた家は転がるように坂を下って行った。


まるで悪夢のようだ。
我が家に入り込んで、女達を誘惑し、甘い夢を見せたと思ったら一転して地獄を見せる。
あれに手を出した私が悪かったとでも言うのだろうか。

家中、体中から毒が吹き出して、息も出来ない。

番外 子兎へ
本編 59へ

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